言語障害という障害とは…? P.2

今更ひとり言を言っても仕方がないんだけれど、生まれつきのアテトーゼ型脳性まひで言語障害は重い方だ。泣き虫で人見知りで感情を上手く伝えることが苦手。笑うと止まらなくなるという性格なのか、障害からくるのか、分からないが、そんな感じだ。

そんな私は、20代半ばにして、仕事(作業)を変えようと、勉強を始めるために施設に入所した。勉強する科目は違っていたが、同じ部屋で生活する同年代のミーちゃん(仮名)に出会った。

ミーちゃんは難病で手動車いすを利用していた。明るくてシャキシャキとした感じの女性だった。初対面でミーちゃんが私に、「名前何て言うの?」と話しかけてくれた。人見知りの私は、緊張しながらも「さつき」と言ってみた。するとミーちゃんは「たぬき?」と聞こえたらしく、もう一度私は「さつき」と言ったのだけど、また「たぬき?」と聞いた。ミーちゃんは、そのやり取りを面白がって、私も途中から笑ってしまい、何も言えなくなってしまった。結局ミーちゃんから「たぬき」としばらくの間、呼ばれていたように思う。でも本当は、初めから私の名前を分かっていたのではないか…?と思う。

若かった私。最初は「たぬき」と呼ばれることに、ほんの一瞬、失礼な人だなと思ったが、ミーちゃんから呼ばれるのは嫌ではなかった。親しみやすさが込められていたからだ。他の人から呼ばれたなら、許さなかっただろう。ミーちゃんと私は、自然と仲良くなっていった。私はまだ独歩で何とか歩いていたので、ミーちゃんの車いすの後ろにつかまって歩き、いつも二人で行動することが多くなっていった。そして、いつの間にか親友という存在になった。

いつも冗談ばかり言って笑わせているミーちゃんだったが、時々、人には言えない話や悩みなどを打ち明けてくれるようになった。私は多くの人と関わって話すのが苦手。聞いている側が多かったと思う。その方が落ち着ける自分がいた。お年頃の私たちは、障害とか病気を持っていることへの悩みや将来への不安は尽きない。明るくふるまうミーちゃんと、他の友人たちも誘ってくれて出掛けたり、話をすることが楽しかった。私が話す時はいつも冗談を言っては笑わせてくれた。私の話は、言語障害を持っていない人より時間がかかるし、下手だから半分はわからなかったかな?いやわかってくれていたと思いたい。じゃなきゃ親友にはなれなかったはずだ。

この頃はまだ、コミュニケーションの方法が少ない時代。どうしても伝わらない時はどう伝えていたのか…。指で文字を書く。紙に書く。でもそんな事をした覚えはあまりない。話していれば通じ合える人なのか。そういった友達に出会える事は数少ない。障害を持っていれば、なおさらだ。

その後、ミーちゃんは夢を叶えて独立していった。いつまでも居られる施設ではなく、私も何とか頑張って独立しなければと思いながらも、思った結果が出せずにいた。ミーちゃんの後に付いて行くつもりだった。けれど、ミーちゃんと会う機会は減ってしまった。そして会えなくなった。

初対面での、この出来事がなければ、友達にもなっていなかったと思う。90年代半ばの当時は悲しくて泣いてばかりだったけど、今では面白かったことばかり思い出す。長く生きていると、新しい出会いは少なくなり、別れの方が多くなっているけれど、忘れてないよ。ミーちゃん!

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