わだちの軌跡(5)

5.自立の家の基礎を築く

働いていた人たちの中には、企業に就職した人は数人しかいないものの、自立の家のスタッフになっている人たちが多くいる。自立の家のスタッフで障害のある人たちのうち、半分以上がわだち出身者で占めている。さらに、よくする会の会長も5代目以降から現会長まで、わだち出身者である。この他、幾人もわだちを巣立って、団体を立ち上げたり起業したりをしている。
また、働いていた人たちが自立の家の基礎部分を創っていることや名古屋において交通アクセス運動に拍車を掛けたり介助保障運動に取り組むきっかけを作ったりしていることに触れておきたい。
まず、自立の家の本部を置いている福祉ホームサマリアハウス。きっかけになったのが林義憲さん(脳性マヒ)の自立と言えよう。彼はもともと実家から通っていたのである。当時、中村区にある五反城教会の一角にわだちがあった。が恵方町教会(昭和区)に移転することになり、彼は「親に送り迎え」と考えていた。ところが、山田さんの一言で恵方町教会の一室を借りてひとり暮らしを始めたのである。彼がひとり暮らしをするには介助が必要であった。そこで、ヴォランティアを募り、介助者を賄い、ひとり暮らしをした。これが福祉ホームの原点であり、介助保障運動に目覚めたと言えよう。
一方の交通アクセス運動はよくする会の創生期から取り組んでいた。これに拍車を掛けたのが小川安宏さん(脳性マヒ)と川嶋俊宏さん(脳性マヒ)である。というのは2人とも地下鉄を使って通っている。小川さんは当時、手動車いすで1985年5月から2年間、天白区にある実家から一人で地下鉄を使って通ったのである。その後、数年経ってから入ってきた川嶋さんは電動車いすで名東区にある実家から数年間通ったのである。この2人の地道な行動が今日の地下鉄のバリアフリー化は大いに貢献したと言えよう。
さらに、マイライフの会を小川さんとともに牽引して介助保障運動に貢献した市江由紀子さん(脊髄性筋萎縮性)はわだちで仕事した経験が運動する時に役に立っていたことが彼女の告別式での牧師の話で知った。
このように「働く」ことを通じて障害のある人たちにとって社会経験を養い、自らを成長させる場であるかを物語っている。

つづく

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