わだちの軌跡(3)

3.わだちの歩み

愛知県重度障害者の生活をよくする会(以下、「よくする会」と略す。)が最初に取り組んだテーマが「労働」である。
さかのぼること1981年6月のよくする会の月例会で日本福祉大学の名誉教授である児島美都子先生が「労働・移動・自立(介助)の3つの要素が重要である」と提起された。それを受けて鬼頭育男氏(脳性まひ)が労働に関するレポートを作成し、7月の月例会で報告された。このレポートを受け、児島先生の掛け声でみんなが作業所の状況を調べたのである。そうすると名古屋市のほとんどが手作業だったという。児島先生によると全国2,000の作業所のほとんどが手作業だったらしい。そこでよくする会は頭を使った労働ということでコンピューターを選んだ。
こうして、よくする会はわだち作業所を1984年10月に誕生させたのである。翌年の1985年に、中村区の立正佼成会から信者の調査の集計業務を請け負っている。この仕事は「自分たちで集計プログラムを作り→集計→解析→納品。」というものであった。これが未来を決める大きな仕事になった。その後、名古屋市から実態調査の業務を受注している。
これらの経験から実態調査のような仕事(頭で考え、調査表の作成、プログラムをつくること。)は自分たちにも十分可能な仕事であると認識したのである。ただ、データ入力は手の不自由な障害のある人たちには時間が掛かり納期に間に合わないので、アルバイトにお願いする。その間のデータの管理やアルバイトの調整は障害のある人たちが行う。これがスタイルとなって、データ入力・実態調査を受注していった。「障害のある人たちが障害のない人たちを雇って仕事して貰う」ということは当時としては画期的なことで誰も思いつかない発想であったと思う。これこそ先人たちの知恵である。
以降、システム開発・コンサルティング・ホームページ作成と業務の幅を拡げていく。取引先も行政関係だけでなく、名古屋ゴルフ倶楽部・全日本写真連盟・名古屋テレビ・メルコ(現・バッファロー)といった名の通った企業・団体と長年に渡り仕事してきている。これは単に「障害のある人たちが働いている組織」ではなく、わだちを信頼して取引してきた証である。
極めつけは、中部国際空港と愛・地球博のユニバーサル・デザイン業務を受注し見事に成し遂げたことである。これらを見て、当時名古屋大学の教授であった谷口元先生は「自立支援ビジネス」と賞賛している。
こういった働き方が見いだせたのは障害のある人たち自身が働き場を作り、「仕事したい」「稼ぎたい」という強い思いが実ったものと言えよう。
また、工賃の賃金水準も就労支援事業所の中ではトップクラスで、私が初めて貰った工賃が5万円である。これは、先人たちが「年金と工賃で何とか地域で生活できるように」という思いからである。

つづく

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